1月15日のぱたぱた日記
コロナ禍で知った言葉に「エッセンシャルワーカー」がある。 「エッセンシャル」とはリンスの名前・・・ではなく「必要不可欠な」「本質的な」という意味。花王も随分と自信満々なネーミングをしたものだと思うが、「エッセンシャルワーカー」とは、「エッセンシャル」に「ワーカー」=「働く人」を足した言葉。つまり人々の生活に不可欠な仕事をする人々のことを言う。
詐欺師や泥棒など犯罪以外はどのような職業でも必要な仕事だが、「エッセンシャルワーカー」とされる職業の例をあげると、まず医療分野の職業。医師、看護士、薬剤師など。次に水道、電気、通信など公共インフラに関わる人々。続いて地域住民の生活を支える役所、警察、消防署の職員。漁業、農業、酪農業など食品の製造に関わる一次産業従事者。食品や日用品を生産する製造業の従事者。電車、バスなどの交通機関の運転士やトラックドライバー、宅配スタッフなど運輸物流を担う人々。生活必需品を提供するコンビニやスーパー、ドラッグストアなど小売業界で働く人たち。介護福祉士や保育士のように、高齢者や子どもなど弱者を支える福祉分野で働く人々。生活廃棄物を回収するゴミ収集員や清掃業者などなど・・・。
こうやって見ていくと、いくつかの共通点に気がつく。一つは、公務員のように無駄として削減されてきた職業。もう一つは、第一次産業のように収益性の問題等で切り捨てられてきた職業。コンビニ店員のようにパートやバイト等、短時間低賃金の非正規の仕事。そして介護や保育のように、実際は専門性が必要であるにも関わらず、誰にでもできる仕事扱いをされている職業である。全てが他者の生活のニーズに応える仕事であり、コロナだからと言って、休めない仕事である。人々の生活をケアする仕事とも言える。ケアにまつわる仕事=女の仕事として、低賃金におさえられてきたのは周知の事実だが、では高い賃金が得られるのはどのような仕事なのだろうか。細かい説明は省くが、簡単に言うと、トップに立つ仕事、決定する仕事、指導する仕事、差配する仕事である。関わる分野は政界、財界、官界、学界、宗教界等々・・・この社会の中心、頂点に位置する仕事である。当然ながらケアの世界は周縁部に追いやられている。
国民のために働くと宣言している政治家(もちろん、中心、頂点に位置してる一群の人々)がいるが、彼らにケアの心はあるのだろうか。検査拒否をしたら罰金とか、時短要請に応えなければ罰金などという議論を見ていると、ケアどころか、命令と違反者の処罰を仕事と考えているのではないかと思えてくる。政治家にケアの心があれば、今のコロナ禍の困難は全く違ったものになっていたのではないだろうか。低賃金に置かれている労働が、その名の通り「必要不可欠」で「本質的な」労働として高い地位を得るようになったら、当たり前だが、そうした仕事につきたいと考える人が増え、困難を抱えた人々は多くの助けが得られるようになる。そういう社会を切望しているが、「国民のために働く」と言っている方々がその価値を見直そうとしているようには見えない。一時金を出すといわれても、その前の態度を見ているので、簡単には信用できない。何だかえらそうで傲慢ささえ感じるというのが正直な感想。「必要不可欠」で「本質的な」労働が尊重され、種々の困難を制度が補うような社会であれば、暮らしやすさも人々の幸福度も、そして生産性もずっとあがると思うのだが、どうだろう。少なくとも我々は同じ労働者として、これらの職業の人々への尊敬の気持ちを忘れないようにしたいと思うし、同じ低賃金の労働者(そうではないという方はごめんなさい)として、地位向上と待遇改善のために、そしてケアの復権のために闘わねばという気にさせられるコロナ禍の日々である。
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。