知識・情報は幸せに生きるために大事—アンコンシャスをコンシャスに
朝日新聞の特集で「戦争トラウマ」が取り上げられている。兵士として過酷な戦場体験をした人が、戦後の生活において情緒の不安定さや暴力依存、アルコール依存等の問題を家庭内で呈していたことが、その子どもたちのトラウマエピソードとして語られている。父親のそうした状況は、家族や周囲の人々には本人の性格的、個人的問題としてみなされ、強いトラウマの影響によるものであろうと理解された場合は少なかったと思われる。子どもの立場からは、感情の起伏の激しい、自己コントロールのきかない父親に当惑し、恐怖や嫌悪、侮蔑を抱き、成長するにつれ距離を置くしかなかった人も多かった。家庭が崩壊し、父がやがて自死を選んだ事例も少なくなかったようだ。
私自身は、トラウマという言葉を心理臨床の被害者支援を学ぶ中で知った。DVや性暴力の被害に遭ったことで、その後の本人の心身の健康や生活に多大な影響が生じることを知ったうえで支援を行い、本人に関わる人たちにそのことを共有することは不可欠だ。その視点を持ってからは、攻撃性や依存性、不適切な考えや行動に出会うと、背景にトラウマ体験の可能性を想像するようになった。日本では阪神淡路大震災においてPTSDやトラウマについて一般に言葉が知られるようになり、近年は支援においてトラウマインフォームド・ケア(トラウマの視点でその人の状態を理解する)が重視されるようになっている。
トラウマというものについての知識があれば、一般に問題とされる行動や反応を示す人を理解することが可能になる。理解されることで、本人も孤立したり、防衛的に不適切行動をとらずにいられるようにもなり、家族を傷つけ家庭崩壊に至ることも防ぎ得るだろう。知識があることで適切な見方、関わり方ができることとして、精神疾患やひきこもり、発達障害に関しても同様のことがいえ、支援において従来、心理教育が行われてきて効果を見ている。子育てにおいても、親となる人に乳幼児の心理発達と行動のつながりについての基本的な知識があれば、不適切とされるかかわりにつながる考え方をせずにすむだろう。
フェミニスト・カウンセリングでは、“personal is political”(個人的な悩み・問題は社会の問題の表れである)を視点として、主に女性に特有の問題を読み解き、本人が真に望む生き方をめざして共同作業をする。さらに社会が誰にとっても生きやすいものになるよう働きかける。男性中心社会においての女性の体験は、生まれてすぐからの大なり小なりのトラウマ体験の連続といってよいと思う。生まれてすぐから、男性に認められていて女性には認められないことがあったり、女性だからと「わきまえる」ことを求められたり、力を発揮するよりケアや支えを美徳として目指すよう志向する風潮があったりするため、また、周囲の女性たちがそのようであることに喜々としているように見えるとしたら、自身が不当な扱いを受けていることや権利を奪われていること、本当の気持ちを抑え込んで生きていることに気づけないまま生活していく。潜在する不全感は、自身の心身や行動の不調、被抑圧者どうしである女性どうしの分断という形で表れる。そこにフェミニズムという知識・情報を知ることで、自分が幸せに生きるために何が問題であり、どのように考えればよいかが見えてくる。
私も27年前にフェミニスト・カウンセリングに出会ったとき、一気に目の前の覆いがはぎ取られた思いがした。ジェンダーという概念と、自身の生活・人生にそれが及ぼしている影響を知ることで、家族、恋愛、職業生活、子育て等々のあらゆる側面を自分オリジナルに再構築する作業が始まった。フェミニスト・カウンセリングと同時に出会い、ライフワークの1つとなっているアサーティブネスは、さらに今すぐ具体的にどういう言動をすると自分らしくいられるのかを解る知識である。
催眠療法のトレーニング中、「言葉がわからない国どうしだから戦争になる」と発言していた。なるほど!と思った。言語は解り合うための重要な知識である。フェミニスト・カウンセリングでもCR(consciousness raising:語り合いによる意識覚醒)グループをアサーティブネスと同様に重視している。他者と言葉を介して関わり合うことから、アンコンシャスなとらわれやしばりにコンシャスになり、これからの自分には不要だと判断して手放すことも可能になる。きっとまだ私にも、フェミニストの仲間たちにも気づけずあるだろうとらわれやしばりを、これからも積極的に気づいていきたいし、生きづらさを抱えるあらゆる人たちに知識・情報を伝え、共有して社会を変える動力になりたいと望む。
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。