Kさんを悼む〜

 私には、Kさんという十歳ほど年上の友人がいる。韓国籍の彼女は子どもを出産したとき、本名で生きることを選択した。ライフワークとして在日外国人のための日本語教室や生活相談などに、ボランティアで取り組んできた。
その彼女が1月13日、天に旅立ってしまった。哀しくてやりきれない。

彼女からの問い
 彼女からは、いつも日本人の国民性について問われてきた。
例えばKさんの「悔しい」出来事はこうだ。ある日、市役所の住民課の窓口に出向いた彼女は、身分を証明する書類の提示を求められ、免許証を出した。窓口の職員は「外国人は外国人登録証(以下外登証)を見せなさい」と指示した。「おかしいな」と思いながらも、外登証を出したとたん、さっと奪い取られたのである。職員は「してやったり」という顔でほくそえんだらしい。Kさんは、日本の外国人登録法に対して異議を唱えており、法を具現化している外登証の切り替えを拒否していた。職員は、身分証明は免許証で事たれることを知っていながら彼女を謀って外登証を奪い取ったのだ。公務員の市民を見下す態度、外国人住民の権利保護など歯牙にもかけない行政事務姿勢に彼女は怒った。そして地団駄踏んで悔しがった。差別的な日本人と日本社会の冷酷さを骨の髄までわかっているはずの自分が「油断して」緊張感を緩めてしまったことに。
彼女は私に問う、「これが日本人社会だ」「日本人であるあなたはどうするのか」と。Kさんの怒りと自身への悔しさを感じ取っていた私は、彼女の問いに一瞬、戸惑う。彼女の問いを「共感は必要ない。それより行動だ」と解釈している私がいる。拒絶と突きつけを感じて、まず寂しさがよぎり、次に「何をなすべきかを答えなければ」というプレッシャーが湧いてくる。一呼吸おいてプレッシャーを抑え、「ええかっこするのはやめ、まずは向き合うこと」と腹を決める。そうして私は、私の感じたことを伝えはじめる。
彼女の「問い」は怒りであり、悔しさだ。応答を求めているだけなのに、クレイマーのように受け取られる場合すらある。「人権侵害だ」「この国は変だ」と表明している「問い」がまっすぐに受け止められないのはなぜか。部落解放運動では「足を踏まれた痛みは踏まれた者にしかわからない」というフレーズがよく使われてきた。被害当事者性を表す「うまい」比喩だ。人権侵害という指摘に向き合うとき、「踏まれた当事者から『踏まれた痛み』を痛みとして聴く」という立ち位置をぶれさせてはならないと思う。この立ち位置から身を離すと関係性に歪みが生じる。ときに「痛み」の強調が関係を拒絶する作用をもたらしてしまう場合もある。私は拒絶機能が作用したとしても修復は可能だと思っている。「問う」者も「問い」を投げかけられた者も、自分自身をみつめ「私」の言葉で応答すればいい。怖れることはない。関係とはそこからしか始まらないものだ。そして人権侵害は関係性にダメージを与える言動であるが故に、解決へ向かう過程では、関係性の再構築をめざす営みが双方に求められている。そのことも了解しておきたい。

問いの意味
 Kさんの私への問いは、参政権と公務員試験を受ける権利を有する日本国籍を持つ者への問いでもある。
日本で暮らす外国人は永住していても参政権はない。敗戦後、日本は旧植民地出身者が国籍を選択することを認めず、日本国籍を剥奪し、旧植民地出身者は選挙権も被選挙権も喪失した。地方自治体での永住外国人への参政権を認めようという動きはあるものの、法制化には至っていない。また公務員採用の募集要項には、法に明文化された規定が存在しないにもかかわらず「日本国籍を有するもの」という国籍条項がある。これは1935年3月25日に内閣法制局の高辻正巳氏が出した「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには、日本国籍を必要とするものと解すべきである」とする見解に基づいている。その後、自治省は行政実例の中で「国家意思の形成」を「公の意思形成」と言い換えて、在日外国人を「公権力の行使、公の意思形成にあたる」公務員として採用することを拒否してきた。しかし在日運動の拡がりで、司法修習生(一九七七年)、国公立大学教員(八二年)、郵便外務員(八四年)などに門戸が開かれ、九○年代に入ると地方自治体でも国籍条項を撤廃するところが増えてきた。
韓国籍のKさんは日本社会で生きるとき、父や母、祖父母の世代が植民地社会でどう生きてきたか、日本政府が朝鮮人と朝鮮半島に対してどんな政策を選択してきたかということと無関係には生き抜くことができない。でも日本国籍をもつ私は、そんなことを何も知らなくても生きていける。彼女の歯がゆさは「隣人を踏みつけた歴史を忘れて隣人との関係性が構築できるのか」に尽きる。ご都合主義的な歴史観しか持ち合わせていない日本社会。それを変革できない日本人のふがいなさ。そのふがいない日本人や日本社会に対し自分はいつまで指摘し続けなければならないのかという歯がゆさなのだと思う。

問われるということ
 厳しく、深い問いを投げかけられ、時に動揺しつつもKさんは私にとって魅力的だった。
人見知りの私がここまで自分を開けたのは、Kさんの人柄ゆえだろう。とにかく裏表がなく、率直で、関係に上下をつけることは一切しない。知ったかぶりして優位に立とうとしたり、人を利用したり、逆に下手に出たりすることもない。話をしていて安心する。
彼女は常に自分の葛藤に向き合い、誰かとつながり、悩み続けていた。彼女の問いに「応える」行為は、私にとっても「私」自身を探究し、彼女とつながり続けることであった。問われたときに心が揺れるのは、私の内側に「なぜ私が問われなければならないのか?」という感情が潜んでいるからで、それを隠したら向き合うことはできない。「私」という個人的単位の問題でなく、社会的政治的歴史的な位置もクロスさせないと感情は浮上してこない。その作業は一人ではできまいと思う。
私は、天にいるKさんの問いに、これからも耳を澄ませて生きていこうと思う。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。