2月15日のぱたぱた日記

10年目にして何故に…
13日夜中の地震はなんのお告げなのでしょうか?
1月末くらいからメディアが10年云々という情報を流し始め、この10年何が変わって、何が変わっていないのか、と考えつつもコロナ、コロナに振り回され、やれ自粛疲れだ、街に人が戻っただとフワフワしていたらドカン!! いったい何をどうしろというのでしょうか。
東北のみな様、本当にほんとに心からお見舞い申し上げます。
これでもか、これでもかと色々なことが次々起こり、眩暈がしそうです。
私の最近も世の中から色が失せるような残念で悲しいことが起こりました。
長年にわたりHIV陽性者の支援やHIV予防啓発活動などに取り組み、自らも陽性者である友人が逝ってしまいました。
「結婚の自由をすべての人に」訴訟に、パートナーとともに原告として参加し、「同性同士が結婚して法的に家族となることは憲法上の権利である」と、同性婚法制化の必要性を広く訴えてきた人です。

彼は法廷でこう述べました。
「私はHIV以外にも病気を抱えており、寿命はあと10年あるかどうかだろうと覚悟しています。 死ぬまでの間に、パートナーと法律的にきちんと結婚し、本当の意味での夫夫(ふうふ)になれれば、これに過ぎる喜びはありません。天国に逝くのは私の方が先だろうと思っていますが、最期の時は、お互いに夫夫となったパートナーの手を握って、『ありがとう。幸せだった。』と感謝をして天国に向かいたいのです。」

危篤の知らせは親族(妹さん)のみの連絡。長いこと生活を共にしたパートナーではありませんでした。親族にカミングアウトしていたので、妹さんはすぐさまパートナーに連絡し、みんなで病院に駆けつけました。2週間の入院でしたが、コロナの関係で見舞いもできないままでしたが、最後は手を握り合って見送くれたとパートナーは喜んでいました。偲ぶ会をオンラインで開催しましたが、最後の妹さんの挨拶が「三姉妹(二人の妹、ゲイのパートナー)、これからも仲良く、兄に心配をかけないようやっていきます!」と…。きょうだい仲良く付き合っていたから、病院にも行くことができ、看取ることもできましたが、そうではない事例が山ほどあります。お葬式に参列できなかったり、財産分与もなかったり、悲しい話がゴロゴロです。

「同性同士の婚姻が認められることは、私が若いころに持っていた、自分自身に対する否定的な気持ちを、これからの世代の人たちが感じなくてもよい社会にすることなのです。」と、若い世代への支援に取り組んできた人だからこそ、次世代のためにも世の中を変えなければとの強い想いで、同性婚実現に向けて、裁判を闘い、講演など様々な活動を通して世の中の理解を促してきました。
いつも穏やかで、広い心をもって人に接し、笑顔が素敵な人でした。同性婚法制化は間に合わず、パートナーと法律上も夫夫となって最期を迎えたいという夢はかなわなかったけれど、彼からのバトンは受け取りました。このバトン、しっかり次に渡すために、もうちょい頑張ってみようかなと色のない青空を見上げています。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。