出会った言葉とDV支援
改正されたDV法の施行が迫ってきた(2024年4月)。いよいよ精神的なDVも保護命令の対象になる(他にもいくつか改正点はあるが、何といってもこれが最も大きな点だろう)。まだまだ課題は残されてはいるが、法律さえなかったころを知る者にとってはようやくここまで来たと感じる。
日ごろの支援に当たる者にとっては、精神的DVこそがすべてのDVのベースになっているもので、その与える影響(ダメージ)がとても大きいことは自明の理。でも、先日の職場での入門編DV研修受講後のアンケートには「DVは身体的なものだけだと思っていた」との記載があった。考えてみれば精神的DVを受けている本人でさえ気づいていないことも多いわけで、未だにあまり知られておらず、ましてや法律が変わったことなど知っている人は少ないのが現状だ。
DVを経験した女性には「暴力のガイダンス(心理教育)」をする。もちろんレッテル貼りでもなく、その日から身体だけではなく、心も守るためにできそうなことを一緒に考えながら寄り添う。でも支援する側にどうすればいいのかを教えてくれるのは、やっぱりクライアントだ。だいぶ前に、面接も終盤を迎えた折にこれまでの自分について話してくれたクライアントがいた。
「これまでそんな夫といてはいけないと流されていく私に、いろいろな人がその時々に浮き輪を投げてくれたけれど、私が今だ!と思わないとそれをつかもうとは思わなかった」(※)
その言葉を今でも鮮明に思い出す。私はちゃんとクライアントを見ているだろうか。船でそばまで乗り付けて引っ張り上げようとしていないか。たとえタイミングが合わなくても、受け取ってもらえなくてもあきらめずに根気よく浮き輪を投げ続けているだろうか。その言葉はそんなふうに支援のありようを振り返らせてくれる。ほんとうにありがとうございます。これからもたくさんの言葉に出会えますように。
※クライアントには許可をとっていることを申し添えます。
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。