11月1日のぱたぱた日記
この原稿が皆さんのお手元に届くのは、衆院選の結果が明らかになったところなわけで…。これまで選挙の翌日は大抵、いかに自分が少数派であるかを思い知らされる日となっていた。ふだん狭い人間関係と気に入ったものしかフォローしていない情報源の中で生きていると、つい勘違いしてしまい、選挙翌日に打ちのめされることの繰り返しなのだった。今回11月1日、私はどんな朝を迎えているのか。
この原稿を書いている現在は投票日の直前…にもかかわらず、なんだか眞子さんの結婚を巡る報道がやたら盛り上がっている。はっきり言って私はほとんど興味がなく、全然追えてなかったが、「複雑性PTSD」というワードが出てきて、俄然「身近な問題」として浮上してきた。カウンセリングや相談の中で、「あれを複雑性PTSDと言ってしまうと、なんか軽いものとして扱われるようで腹が立つ」という過酷な人生を歩んでいる(きた)相談者が少なからずいる一方、「国中のみんなが、自分の人生を歩みたいということに反対して攻撃されているような孤立無援感がすごく深かったのでは…」という声も聞いた。
この国の中で多分最も堅固であろう「家」の力を、自分の意思を貫いて突破していった眞子さんはなかなかすごいと思う。思えば、雅子さんは「適応障害」だったし、眞子さんは「複雑性PTSD」と「結婚」。自分を守る、自由にする方法がそれしかないのかと思うと切ないが、そうやって彼女たちはそれぞれ自分を守る形で、結果的に強烈な「家」を少しずつ切り崩しているようにも見える。
一方で、家父長制の頂点にある皇室に「理想の家」を託し、そこから抜け出ようとする一人の女性の試みを全力で潰そうとする人たちもいる。「結婚反対デモ」なるものも行われたが、参加者の8割が中高年女性だったという。「自然」なことのように染みつき、中で生きている人の意思を無視してまで守りたいと思う(しかも他人の)「家」とはそんな女性にとって何なんだろう。これはこれで、グロテスクで切なくもある。いや、まだまだこの社会に適応しようが抗おうが、女性は大なり小なりトラウマを抱えることになるよな…と思う。そんな社会の中で、「診断名」が自分を守り、少しだけでも楽に自由にさせてくれるのなら、それはそれでいいのかもしれないと思ったりする。
さて、現在のところ、マスコミによる選挙結果予想は、またもや怒りと打ちひしがれる朝を迎えることになりそうなものだ。でも、眞子さんもなんとか「脱出」したし、夫婦別姓や性暴力などジェンダー平等の課題を真っ向から掲げる候補者も以前より多くみられる。一発逆転でなくても確実に世界は変わってきているし、それは選挙後も続いていく。私もできることを続けていくしかない。女性のだれもがトラウマを抱えるようなこの社会で、学習性無力感に陥らず、トラウマインフォームドなコミュニティを作っていこうとすることは、なかなか意味のある闘い方のひとつであるような気はする。そんな願いと祈りを込めながら。
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。