9月15日のぱたぱた日記

仕事帰りに山の上の源泉掛け流し温泉に寄る。開放的な広い露天風呂から街の灯りが見下ろせる。サウナと水風呂と外気浴を3セット。初秋の夜風は少しひんやりとして、見下ろす夜景をくっきりと際立たせている。デッキチェアに寝そべりながら、体中の力が抜けていくのを感じる。副交感神経優位のディープリラックスを、サウナーは「ととのう」と言う。

コロナ禍で唯一得たものがあるとすれば、サウナとの出会いだ。それまではサウナも水風呂も、なんなら温泉も苦手だった。のぼせやすいのでカラスの行水。そんな私がサウナ室の扉を開けたのは、非日常を求めていたからなのかもしれない。人と会えなくなった精神的ダメージを自覚し始めた頃のことだった。

会議や研修や講演での月に数度の「県をまたぐ移動」や友達とのたわいないおしゃべりが気分転換に大きく寄与していたことを痛感した。ジャズボーカルのレッスンにも行けなくなり、カラオケボックスも休業。歌というストレス発散方法も奪われ、「セルフケア」は喫急の課題となっていた。

サウナは疲労回復やリラクセーション、美容などに効果があると言われている。急激な温度変化による血管の拡張と収縮を伴うため、心臓病、高血圧、糖尿病などの持病のある人には禁忌だが、自律神経を整えるので睡眠の質が上がり、更年期症状も緩和される。なかでも最も有難いのは「対人ストレス」が軽減されること。

「頭をからっぽにする」「体の力を抜く」ことは意外と難しい。しかし、非日常な温度に晒されることで感覚が優位になり、思考が抜け落ちていく。ととのいの多幸感に身を任せていると、いつのまにか気持ちがリセットされ、人にやさしくできる気がする。サウナ発祥の地であるフィンランドが福祉大国なのは、サウナが生活の一部となっていることと無関係ではあるまい。

とはいえ、飲み下してきた理不尽さは、リセットされずに闘いの時を待っている。

コロナ禍で私たちは、政治と自分たちの命が直結していることを目の当たりにした。「新型コロナウイルス関連倒産」は、全国で2039件に上るとのこと(帝国データバンク 2021年9月14日発表)。2021年4〜6月の完全失業者は233万人で、このうち期間が1年以上の人は前年同月比19万人増の74万人(失業者の32%)。自殺者は2020年7月以降、女性や若者を中心に増大傾向。アルコールなどの依存症も増えている。DV相談件数の急増はご存じの通り。

「オリンピックをやっているのに、どうして運動会は中止なの?」子どもからの問いかけにうまく答えられない。巨額の税金をかけて全世帯に配られた布製マスクも使わないままだ。

もうすぐ衆院選。メディアは政治より政局の報道に熱心だが、「権利の上に眠るな」という市川房江氏の言葉を胸に刻みつつ、力を蓄えるための「サ活」を皆さまにもお勧めしたい。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。