12月1日のぱたぱた日記

私はいま人生で最高度の「怒りんぼう」に取り憑かれている。

その誕生は去年、義母の認知症が現れた頃。義母が明らかにおかしいと思ったきっかけは「悪魔がいると犬が言っている」「悪魔が窓から入ってくる」と話したことなどから。それから朝の3時に「饅頭半分食うか」と私の寝ている部屋に入ってきたり、4時に「この服でいいんか」と言いにきたり、5時に「起きろー」と起こしにきたり。ディサービスと投薬とで少し収まったが、こんどは「晩はここ泊まるんか」「お母さんに電話する」「お母さんのところに帰る」となり、水洗トイレに紙パンツやパッチ(股引)を流し、廊下に汚水を溢れさせることが何度か続き、ついに徘徊が始まった。

義母はズボンのポケットになんでもかんでも入れようとする。ハンバーグやコロッケがそのまま入っていたこともあり、そのたびに「注意」している私。耳が遠いので私の声はどんどん大きくなっていく。声が大きくなるにつれ、イライラ度が増幅していくのがわかる。いろんな場面で何度言っても同じことを繰り返す義母。それだけでなく、謝るテクニックが上手くて、すっと下手に出て、私を上位に持ちあげようとする。それが私をぞっとさせる。義父の暴言に長年さらされてきた義母のサバイバルテクニックかもしれないと思いながら、やるせない気持ちになる。連れ合いには言わないくせに、私には「メシっ」「腹減った」と命令口調だ。私の名前はもう覚えておらず、「おねえさん」としか呼ばない。連れ合いのことは時々「あの人誰?」とも聞いてくる。

しかし、回線がつながっていると思われるときもあり混乱しながらも「怒りんぼう」に取り憑かれていく私。誰かに話したり、記録したりして、なんとか制御してきたつもりだった。が、義母にとっても私にとってもよくない状況だと「怒りんぼう」が伝えているような気がして、友人の元ケアマネジャーに相談した。彼女は、それは本人にとっても家族にとっても危機的な状態、グループホームを利用するなどして互いに離れることが大事、ケアマネジャーと相談したほうがいいと即アドバイスをくれた。よくない状況という認識は間違っていなかったと理解でき、制度の利用の仕方もわかり、肩の荷がおりた。
渦中にいると現在地がわからなくなり、渦中であることすら、すっ飛ぶことがあるものだ。

「怒りんぼう」の活躍は、パンデミックの影響もあるかもしれない。長い緊急事態宣言は解除されたが、私の知人には緊急事態宣言下に、長期入院した人もいるし、家族をCOVID19に奪われた人もいる。そして、ワクチン接種していても感染するといわれる新たな変異株・オミクロン株が見つかった。現在と過去と未来が交差している日々。過去に起きた事、現在起きている事の意味を咀嚼しているか、未来は照射できているのか、振り返りつつ、人としての尊厳がおびやかされないよう、互いがよりよく生きていけるよう、ちょっとずつ踏み出していこうと思う。
 

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。