9月1日のぱたぱた日記

パラリンピックが開かれています。この間、新型コロナウィルス感染拡大は留まる気配をみせません。

この状況で、私は先月、ワクチンを接種しました。その日の夜から翌日の夕刻までに、何度か左胸に一瞬鈍い痛みがあり、「左胸にあるのは心臓?肺?なんか、この痛みは、痛んだらダメなとこが痛んでる?」と段々不安になってきました。結局、循環器科を受診し、「その痛み方は心臓ではない。副反応だろうけど、わからない」と言われました。心臓ではないとわかってホッとしたものの、その翌日は、「妙に落ちた」気分を体験しました。その翌々日、元々持っている鼻炎が急に悪化して耳鼻科に行くことになりました。その翌日、たまに感じる皮膚の痒みが急に頻繁になり、痒さもひどくなり、皮膚科を受診しました。耳鼻科でも、皮膚科でも「ワクチンの影響だろうけど、まだワクチンのことはよくわからないから、ワクチンの影響とも言えない」と言われました。

今は、鼻炎も皮膚炎も収まり、左胸の鈍い痛みもありません。私は「1回目は、たいした副反応じゃないはず」と思っていたので、命に関わる副反応ではないし、1つひとつは「たいしたことない」という症状ですが、いろいろ起こる体の不調に「これ、いつまで続くんだろう?次はどんな症状がでてくるんだろう?」と不安を感じた2週間でした。私が体験した症状は、ワクチンの影響なのかもわかりません。でも、私は「これって私だけ? 私の体は反応し過ぎじゃない?!」と思っていました。その後、1回目の接種後に「蕁麻疹で大変だった」という人と話して、めちゃくちゃ安心しました。2回目の接種後に、モデルナアームになりましたが、ネットに情報があったので不安は感じませんでした。先日、あるところで、たまたま居合わせた人たちと、自分が体験したワクチンの副反応の話になりました。全員が、違う副反応を体験していたので、「『個人差がある』とはこういうことだよね」と、みんなで納得しました。

ワクチンだけでなく、社会は『個人差』で満ちているはずです。ワクチンは、「個人差がある」ということが前提になっていますが、その前提が社会で共有されていないこともたくさんあります。それどころか、例えば『常識』のように「個人差はない」かのように強要されることもたくさんあります。多様な人が暮らす社会は「個人差」にあふれています。一人ひとりの「違い」を埋める必要はなくても、「違って当たり前」という前提を共有しながら、自分も相手も尊重できるつながりが拡がっていけば、もう少し息がしやすい社会になるのに…と思い続けて、何十年目かの夏が終わろうとしています。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。