私の苗字

 私の父は被差別部落の出身だ。しかし苗字は、被差別部落出身ではない母方の氏である。私が生まれたのは1956年、この時代、男性が女性の氏を選択する場合、女性の「家」を継承するために養子となる場合がほとんどであった。

 小学生の頃、自分の苗字が父方の氏ではないことに不思議を感じた。父の兄が戦死し実質上の長男となった父が母方の氏で、同居する父の母や父の弟家族が父方の氏だったせいかもしれない。母に理由を聞いたことがある。「戦後民法が変わり、どちらの苗字を名乗っても良くなったのだ」と教えてくれた。戦後がどれほど女性を自由にしたのかを象徴するような魅力的な答えであった。「苗字が同居する叔父たちと違っていていいんだ」という根拠も与えられた気もした。いまさらながら社会制度が個人の価値観にもたらす影響は大きいと痛感する。ただ、母の回答はあまりに「正しい答え」すぎて「それだけかな」とひっかかっていた。

母のこだわり

 15年ほど前、母に長年の疑問をぶつけてみたところ、「実は、部落の氏がなくなると部落が減って差別が無くなるのではないかと思っていた」という答えが返ってきた。「浅はかな考えだった、部落解放運動に関わって学習を重ねていくうちにそんなに簡単に差別がなくなるものではないと解った」と母は反省しているのだが、私にしたら長年のもやもやが晴れてよかった。

 部落差別に対する対抗手段として氏を無くすことを選択した21才の母の思いは、母の考えた「周囲が部落を差別する心理」を照らしているように思う。母は、部落とわかるから差別される、わからなかったら差別されない、部落とわかる記号としての氏をなくせばよいと戦略を立てたのだろう。被差別部落の男性と結婚するなんて論外、親戚や世間に顔向けできないと「二度と家の敷居をまたぐことは許さない」と祖母から言われた母は、「もう二度と帰るまい」と決めて何も持たずに家を出た。当時単身赴任で不在だった祖父の反対はなかったものの、親戚一同、驚天動地となったに違いない。

 父はレッドパージで職を失い母の住む街に流れつき、パチンコ屋の用心棒をしていたらしい。そのパチンコ屋で働いていた母が父と知り合い、歌声サークルにオルグされ恋に落ちたとか。母はたぶん、父という1人の人間に惹かれたのだろう。被差別部落出身かどうかはまったく関係なかったに違いない。だから、部落差別をなくすのには、周囲に部落とわからなければいいのだと娘心に考えたのではないか。

 祖母と母は、私を妊娠して和解する。孫の誕生だけでなく、母独特の人間関係をなしくずし的に地ならしていくという、私としてはあまり好みではないが、彼女の生き延び戦略が発揮されたのだと思う。勘当はなかったことにされた。私と妹はなんども母の実家を訪れた。が、父は一度も出向くことはなかった。しかし母がしている親戚との冠婚葬祭をはじめとするつきあい方を聞いていると痛々しくなる。父に対する差別のまきぞえを受けたせいとは思うものの、親戚にそしられないように細かく気遣う気合いの入れ方は、「世間体を気にして母を勘当した祖母」と重なるのだ。

 部落出身者である父への賤視と排除は、父と一緒に生きていこうとした母の心も複雑に揺るがせてきたのかもしれない。

差別はする側の問題

 差別を受ける側がいくら部落とわかる(と思い込んでいる)あらゆる「違い」を隠す努力をしても、差別はなくならない。いくら襟を正して歩いていても、親戚づきあいに不義理しなくても、金持ちになっても、地位や社会的名声を得ても、差別されない保障など一ミリもない。それは差別をする側が目的を持って賤視し排除するからだ。

 「異なる扱い」に賤視や排除の意味を持たせていくことで差別的関係は成立していく。部落差別は身分差別、近世政治起源説という枠組みではまったく捉えきれない。

「違い」「差異」の境界線

 母の「部落とわからなかったら差別されない」という解釈の枠組みは、裏返せば「違っていることによって異なる扱いを受けるのはやむを得ない」につながる。「なぜ同じ日本人なのに部落は差別されるのか」とアイヌ女性から問われた言葉を思い出す。「違い」というキーワードは、差別の存在を「了解」しやすくする。

 だが、その「了解」は差別という構造を見誤らせる。フェミニズム運動のジェンダー概念の提起、障害者解放運動の「障害は個性」「私たちは人間」という提起、セクシュアルマイノリティ運動の「誰もが多様なセクシュアリティ(性と生)を生きる当事者」という提起は、「違い」や「差異」に基づいて差別を「了解」してしまう欺瞞を暴露した。

 同時に、これまでの「違い」「差異」の境界線は恣意的で政治的なものであることもつきつけた。遺伝学の発展によって生物学的には人種の違いはないことが明らかになっている。性のあり方も社会的な性、心の性、身体の性、性的対象とそれぞれ多様であるのにも関わらず、現代日本の社会では女性と男性、異性愛しか認めようとしない。

 差別との葛藤は一人ひとりを出発点とし共感できるところ、異なるところを当事者同士が紡ぎ、差別を怖れない関係性を構築していくことで対処していくことなのかもしれない。


※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。