知らん振りしないこと。恐れること。

2月24日で、ロシア軍がウクライナに軍事侵攻してから1年を迎えてしまう。

先日のTV画面では、ウクライナに国外からの供与が決まった戦車の種類が紹介されていた。イギリス、アメリカ、それにドイツの最新型戦車は、こんな性能でそれぞれ優れている点は、とアナウンサーが淡々と説明していく。戦車砲がどれほど安定しているか。砲台がどれほど頑丈か…。(それは、安定的に人を殺し続けることだよ。また、爆撃を受けた戦車内でも生きられる可能性があるか否かということだよ。)兵器の解説を、自家用車の性能のごとくに聞かせられる日が来てしまった。

国を守る、国民や国土を守る、という名目で戦争は始まること。
戦闘においては軍人だけでなく、人々の生命や生きる場が奪われていくこと。
核の脅威は計り知れないこと。
原発が標的になること。
もっと様々なことを、この1年間嫌というほど目にした。

そして注意して報道を見れば、そこに開始当初から性暴力があったと伝えられている。力で相手(国)を破壊しねじ伏せる、その過程に女性への性暴力支配と屈従、殺戮が含まれる。占領下のウクライナ東部で、レイプは恐怖を与える武器として、戦術として組織的に用いられた形跡がある、ともいわれる。

心身を痛めつけられ、恐怖を植え付けられ、それでも被害者は曝されることをためらう。露軍が戻ってくるかもしれない、あるいは他の人々から非難されるかもしれないから。…調査しても被害実数は過小にしか捉えられないのだという。戦争という圧倒的なパワーによる被害に際してさえ、性暴力被害だと当事者が問われる側面があることに、愕然とする。

戦時性暴力については、かたちは全く異なるが、日本軍「慰安婦」として性暴力被害を受けた女性たちがいたことも、私たちは知っている。植民地支配と貧困と性暴力の被害。戦後77年。被害を訴えて闘った人たちがいる。しかし被害者に「解決した」が届けられることなく、次々と亡くなっている。

戦争はこうして、生命や生きる場を奪うだけではなく、人の心や繋がりをも破壊し性暴力被害者を疎外して孤立させる。そのことをもう一度、確認して噛みしめたい。一人一人が大事にされる社会を考えたいよね、と、拙くても言いたい。小さくても自分の言葉で誰かに向かって。

国内では、軍備増強や、そのための自己犠牲(税負担??!!)が語られ始めている。危機感が煽られている。知らん振りしないで恐れを言葉にしよう。

※ この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。