おばあちゃんのトリセツ

 3年前から両親と同居を始めたおばあちゃんは御年95歳。母方の実の祖母は昭和46年に47歳の若さで亡くなった。昭和48年生まれの私は後妻としてやってきたおばあちゃんしか知らない。彼女が祖父と再婚したのは、私が生まれた年だった。母はすでに上に二人の子どもがいて祖父が哀しみに浸っている姿に付き合いきれない思いもあったようだ。とは言え、祖父の意外なほどに早い立ち直りと再婚には複雑な心境だったことだろう。マザコンだった叔父からの敵意もあり、ある意味アウェイな状態の中やってきたおばちゃんにとって私は特別な存在だったと思う。

 私の家と祖父母の家は目と鼻の先で敷地内には温室があった。寒い夜には温室の中でおばあちゃんにおんぶしてもらって何度も何度も子守唄を歌ってもらった。保育所が終わると自宅ではなく、おばあちゃんの家に寄ってコーヒー牛乳を作ってもらうのが楽しみだった。母に怒られた夜には家を抜け出し、鍵のかかっていない祖父母宅の寝室に潜り込んだ。近所のあんまさんに揉まれて「イタタ・・・」と声を出すおばあちゃんを見て「おばあちゃんをいじめないで!」と泣きながらあんまさんをポカポカ叩いたこともあった。短気な祖父とは対照的に何があっても絶対に怒らないおばあちゃんが大好きだった。離婚歴があることは大きくなってから知った。元夫の借金の返済のために働き続けてきたことも。20年程前に祖父が亡くなった後も時間があれば彼女を連れて買い物や食事に出かけた。妊娠が分かった時にも真っ先に打ち明けた。結婚する予定はないことを告げても「そんなことはどうだっていい」と心から喜んでくれた。

 子どもが生まれ、仕事が忙しくなってからも週に一度は顔を出すようにしていたつもりだったが、次第におばあちゃんは週に一度では不満そうな様子を見せるようになった。飲み物を多く買いすぎたから消費するのを手伝ってほしい、友達に手紙を書いたから時間のある時にポストに投函してほしい・・・などなど理由は色々だが「急ぎではないからあなたの都合のいい時に」と言いつつ、その日に行かないとあからさまに不機嫌になっていくのだった。休日の朝に電話をかけてきて「どうしたの?」と怒り口調で聞かれたときは、何か大切な約束ごとを忘れてしまったのかと慌てた。「何か約束してたっけ?」と聞くと「別に」という返事。つまり、休日なのになぜ自分を気遣って連絡してこないのか?ということらしい。そこから私は彼女の真意を汲み取るワザを身に付けていった。はっきりと口には出さなくとも言いたいことは大体想像がついた。物がない貧しい時代を生きてきた彼女にとって簡単に物を捨てることや食べ物を残すなどもってのほかだ。だから不要な物であっても「要らない」とは言わず、とりあえずありがたく頂くようにした。

お惣菜やお漬物をおすそ分けしてくれる時にはいつも豆腐やマーガリンの空き容器が使われていたし、お菓子の包装紙で作ったポチ袋は数えきれないほどだ。(お小遣いも数えきれない)そんなおばあちゃんも「知らないうちに誰かが物を置いていった」(持っていった)とか「夜中にエアコンから物音が聞こえる」などなど怪奇現象が頻発するようになり、転倒することも増え見かねた両親が同居を申し出た。

 空腹でも決して「お腹がすいた」とは言わないおばあちゃん。早朝からそれとなく物音を立てて朝ごはんはまだですかのアピールに苛立つ両親。食事の支度をしても「まだ全然お腹すいていないのに」「そんなに沢山は食べられない」と言いつつしっかり完食する。お腹がすいているなら素直にそう言えばいいのに・・・と不満をもらす両親。あのね、あからさまにお腹がすいた、とか早く食べたいなんて口に出すのは恥だと教えられてきたのですよ、この時代の女性たちは。いたって健康なのに、ここが痛い、ここがおかしい、もう長くはないかもと言ってはすぐ病院に行きたがるおばあちゃん。女性はか弱くて病弱じゃないと恥ずかしいのだから「うちのおばあちゃんはどこも悪いところがなくて丈夫なの」などと決して人前で言ってはいけないのだ。都合の悪いことは分からなくなってしまうおばあちゃん。だけど誰にいくらお祝いを渡したのかはしっかり覚えているんだよな。

 日本の近代史に興味のある息子にとって戦争時代を生きてきたおばあちゃんは奇跡の人である。「昭和天皇っていい人だった?」「ああ〜あの人はいい人だったねえ」「贅沢は敵って言葉知ってる?」「そんなの当たり前よ」「欲しがりません。勝つまでは?」「あら〜あなた、いい言葉知ってるのねえ。感心、感心」年の差83歳の会話に思わず吹き出す。

 戦争を経験し、人生に訪れた様々な困難を乗り越えてきたおばあちゃんのコーピングスキルは最強だ。毎年、年は越せないかも・・・と思ってもいないことを口にするおばあちゃんだが、最近は長生きしたいと言っているらしい。さて、彼女の真意はどこに?

※ この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。