「女の証し」という唄

 初めて聞いた時、強い衝撃を受けた唄がある。男性との関係のなかで、悶々とする女性の心情を絶妙に表現する言葉に息を呑んだ。20代後半、私がまだフェミニストカウンセラーではなかった頃のことだ。関西を中心に活動したシンガーソングライター、加川良さんの「女の証し」である。少し長くなるが、歌詞を紹介しておきたい。

いつまで寂しい女を気取っていましょうか
いつまで机の前で落書きばかり続けましょうか
でも本当は始めからどうなるかくらいわかってたの
悩んで大きくなれるほど あたい暇を持て余してられないの
そりゃまあ夜明けの歌なんてのも可愛いわ
あんたっていつも唄わすんですもの まっぴらよ
おかげでいまだ石にも風にもなれなかったわ
それを女の証しだなんて誰にも言わせたりはしないわ

あたいの命ってあんたのわがままばかり背負ってたわ
もしも今度生まれ変われても壊れた蛇口だけはたくさんよ
人生なんて見世物だったわ 売り物にはならないものね
嘘はつかなくてはならないものよ だから疲れただけなのよ
湿ったマッチ 日がな一日こすってたわ
あんたのくだらない話 まるでくだらないんですもの
あんたは病気じゃなくてただ酔っぱらってたのよ
明日はひどい雨ですって 誰の傘にもぐりこむの

もちろん貸しは返してもらうつもり
今までずっと奪われてきたんですもの
その分生き長らえてみせてあげる
もちろんおつりは返すつもり

ところで慰めだったの それとも言い訳だったの
励ましのつもりだったの 元を取ろうとしていたの
あたいが海を見ていても 夕陽を見ても月を見ても
いつもあんたって人はありがとうって言わせようとしていたわ
フーテンだって泥棒だって眠ってなんかいないのよ
ただ少し横になって 新しい歌覚えてるのよ
この世はあんたの正義と優しさばかり
今にも空さえ気が狂ってしまうわ

もちろん貸しは返してもらうつもり
今までずっと奪われてきたんですもの
その分生き長らえてみせてあげる
もちろんおつりは返すつもり
                アルバム『駒沢あたりで』に収録(1978年)

 第二波フェミニズムの「名前のない病」を、当事者の語りで絶妙に表現したものと感じているが、作品についてこれ以上の深読みはやめておこう。ただ、私はこの歌詞を本当は誰が書いたのか、何かエピソードがあるのかを知りたくて、加川良さんのライナーノーツやエッセイなどをあれこれ探してみたのだが、それもよくわからないままである。絶対男に書けるはずないと感じること自体が、私のジェンダーバイアスなのかも知れないけれど。

 とても面白いのは、この唄が響く人と、全くわからないという人がいて、それは一体なぜなんだろうと、今もふと思う。モヤモヤと抱えてきたものが、ある瞬間にはっきり見えるようなことがあって、感覚でしか表現できない言葉に、カウンセリングのなかでは出会うことも多い。その言葉が、自分のなかで反響して拡がっていく体験は、カウンセラーにとってこの上ない恵みと、私は密かに感じている。

 高知に、矢野絢子さんという魅力的なシンガーソングライターがいる。音楽性もさることながら、尖った感覚を表現する、言葉にこだわった唄は秀逸である。彼女はライブで時々「女の証し」を歌うのだが、「この唄を書いた良さんには今も激しい嫉妬を感じる」と話していて笑ってしまった。私も同感である。

 加川良さんが亡くなってもう5年になる。彼の一番よく知られている歌は、「命はひとつ人生は一回〜」で始まる「教訓」だろう。こんなに生々しく戦争を感じることが生きている間に起きてしまった衝撃のなかで、改めて聴かれている名曲である。言葉が無力な時にこそ、ことさら言葉を大事にしたいと思う。

 

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。