「真実と修復」(ジュディス・ハーマン著)を読んでいます
ジュディス・L・ハーマンの新たな著書「真実と修復 暴力被害者にとっての謝罪・補償・再発防止策」が3月に出版された。すでに読まれた方は多数おられるだろう。
私はまだ一通り見たという段階だが、これから何度も読んで誰かと話し合いたい思いに駆られる。まずイントロダクションの文章「かつて心的外傷の忘れられた歴史を書いたとき、」を目にして、彼女の前著を開かないではいられなくなった。
前著「心的外傷と回復」は、私にとって羅針盤のような存在だ。心に傷を負った女性と対話するときに、ここから先を辿っていく道を示してくれる。当事者の立っている場所の地形も標高も一人一人違うけれど、時間をともにしながら羅針盤と足元をみながら進む感じ。「心的外傷と回復」には、回復のプロセスとして三段階〈心身の安全・想起と服喪追悼・コミュニティとの再結合〉が臨床と調査研究の結実として描かれ、エンパワメントの視点が通底音のように流れている。
今回の「真実と修復」は、前著のもう一つ最後のステップ、第四段階があるのではないか、として「正義justice」が論じられている。
(私自身は正義という言葉に抵抗を感じてしまう。大上段から都合よく使われてきた感じからか。逆に不正義への感情に付き合ってきたせいか「それは不正義だよね」と共感し言葉にもできる。「正義」のワードに、私は一旦反転クッションを置き、読み進めるうち少し慣れた。)
「本書が示そうとするのは〈暴力を生き延びた人にとって正義とは何であるか〉である。」ハーマンは元被害者に会い、「流れのまま会話をすすめ…『どうなることが正しいと思いますか』と訊ねて、さらに加害者および傍観者はどうやって結果についての責任を負うべきだと考えるかを聞いた。」「怒りや応報感情については特に詳しく質問した。許しについてどう考えているかについても聞いた。」「哲学、社会科学、…の専門書から引用し、また弁護士、裁判官、…へのインタビューも引用しているけれども、しかし核心にあるのは暴力を生き延びた人たち自身の発言である。」
この手法こそが一貫してハーマンのものであり、心的外傷を負った多様な一人一人に私(たち)が心を馳せることを可能にしてくれるのだと思う。
証言を見ると、家父長制の下で隠され否認され孤立させられてきた被害者。家父長制社会をバックグラウンドとして作られてきた警察のあり方、刑事司法の女性や児童に対する機能不全、等々が浮かび上がる。こうした現実の中で、女性の有力化のために社会の側で何が達成されなければならないかを、本書は展望している。アメリカの様相は、日本の当事者の困難と重なる。
日本では…2017年に刑法性犯罪規定が改正されても2019年に4件連続で加害者無罪判決が出され、2023年にやっと不同意性交等罪が成立した。その間にはフラワーデモも開始した。しかし訴えては誹謗中傷に晒され、表面化させずに途上を生きている女性たちや、相談に繋がらない女性たちもいる。内閣府調査で強制性交等の認知件数(2022)は1,655件もある。
また、離婚後共同親権の問題も、DV被害母子が加害者の暴力支配から逃れることを困難にする法律案だ。精神的暴力や虐待・性暴力等、証明が困難で過小評価されがちなDVを、DVと判断できる体制すら整っていない中でだ。家父長制からのバックラッシュではないか。
ハーマンのインタビューに応じた元被害者全員が最初に望んだのは、犯罪が認知され、自分の落ち度がないと確認されること。沈黙と恥辱の重荷を下ろしたいということだった。そのためには…謝罪や刑罰がどのような意味を持つか、修復的司法の可能性と限界について等々考察されている。被害者のための司法、道徳的コミュニティ等、社会を癒すものとしての正義の概念をもって問うている。(この大事な部分を何度も読み返して、自分の中に落とし込んでいきたい。訳注と訳語ノートが親切で助かる。)
フェミニストカウンセリングが提起してきた「女性の生き難さは個人の問題ではなく社会の問題」との立場の、まさに社会の側の現在と、求められるものがここには書かれている。「専門家は暴力を生き延びた人たち自身」として、将来への希望をもって書き上げてくれたハーマンは、大怪我を乗り越え80歳を過ぎたという。海のこちらから感謝を送りたい。
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。