「真っ黒クロスケの事件簿」
すごく私事について書きます。そんなのどうでもええわ…という感じでタメにも薬にもならないつまらん話です。ただ、ホカホカ湯気は出ています。
今、私の右足は膝上から足の付け根の少し上まで内出血で真っ黒クロスケ状態です。自分で見てもギョッとするくらい。
心房細動という循環器の病気で先週オペしました。その後遺症で真っ黒クロスケなのです。
一昨年その発作が、ドカンと来ました。若いころからか〜るい発作は起こっていましたが、気にするほどのこともありませんでした。ところが来たのですねぇ〜、ドカンと。夜中に救急搬送(住宅街なので救急車は呼ばず、消防署から紹介された病院にタクシーで)してもらい、点滴でその日はしのぎました。数日後の検査で「心房細動」と診断され、オペを勧められました。ただ、高齢になってから喘息を発症し、手術のタイミングがなかなかつかめずに月日は流れ、この度やっと手術台に上がることが出来たのです。
カテーテルアブレーション手術。首と足の付け根からカテーテルを差し込み、心房の一部を高熱で焼くオペです。
入院前からの禁酒、手術前日の食道エコーは辛かった!
オペの様子やオペ室のいろいろを見てやろうと張り切っていたのですが、大きな布をかぶせられ、静脈麻酔が首からブチンと入った瞬間から夢の中でした。麻酔がこれまた痛かった。抜歯の麻酔と同じ痛さ(虫歯のない方には分からないですね)でした。
主治医の「終わりましたよ〜」と家族の「おかん!」という呼びかけはどうにか覚えていますが、しっかり覚醒したのはそれから2時間後。オペ時間と合わせると5時間が経っていました。その間、足の付け根の止血が痛いのなんのって、呻いていたようです。その痛さ、覚えていますし、忘れないと思います。
あの痛さを考えると、しばらく禁酒してもいいかと思えるほどの激痛でした。
(もしこのようなオペをする方がいらっしゃるかもですが、人によりますね痛さは。)
翌朝まで寝返りNG。拘束される予定だったのですがそれはナシ。
実はこの心房細動カテーテルアブレーション手術ですが、11月1日から新術式になって私が6人目。それも日本初とか。内心ええ〜っと思いましたが、既にまな板に乗ってしまいましたよね。説明があったのは入院してからですから。家族みんなで顔を見合わせ目をオロオロさせていましたが、私の問題ですから「先生を信頼しています。よろしくお願いします。」と言っちゃったぁ〜。オペ後に息子が先生に「母、生きてますかぁ〜」「生きてますよ〜、ばっちりです!」という冗談?を交し合ったそうです。
この先生に任せる!と思った瞬間からなぜか安心でき、緊張することもありませんでした。看護師さんたちが部屋を訪れるたびに「緊張するよねぇ〜」と口々に言うのですが、不思議とよく眠れたし心配はなかったのです。
クリスマスにはアルコール飲めるかな?! 炭酸、刺激物NGの食生活はなかなか厳しい。
殺されても心臓だけは生きているかも、くらい元気にドクドク活動しています。脳梗塞のリスクもなくなり、まあよかったのでしょう。これからは生かされての終活。ほどほどの生活を心がけ、死ぬまで生きることにしましょう。
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。