「家族でいることは社会に認められる必要があるの?」
ある地方都市の女性相談員として勤めている関係から、その市の男女共同参画審議会委員として、年に2回ほど開催される会議に出席している。数ヶ月前のことである。近年、話題の”ファミリーシップ宣言”が県レベルでも施行され、賛同する全国の市町とのネットワークを組まれることになった(パートナーし婦制度自治体間連携ネットワーク)。LGBTQのみならず、手続きをすれば事実婚カップルもパートナーとして社会的に認定されるのである。私は事実婚である。この制度によって社会的に認定される方がよいのか?? 認定されなければならないのだろうか? そんな思いから、うかつにも、『生活実態になんら不都合はなくなっているし、内心の自由の問題だったらどっちでもいいんじゃない、あえて宣言なんてしなくても尊重される社会になるといいのに』いうようなことを発言してしまった。ここは行政の場、戸籍制度は絶対の大前提。市職員たちの席の方から何とも言えない冷たい風が吹いてきた。あーっ、、、。
私たちは事実婚を選び、子どもを育てて来た。戸籍という制度への違和感、嫌悪感、拒否感から自然とこの形式を選んだ。自宅を購入したときに名義や按分はどう考えるか、表札はどう掲げるか、子どもの戸籍はどうするか、保育園や学校への届け出は、など小さな手続きでの判断を積み重ねる中で自分たちらしさを実践してきた。幸いなことに今のところ健康なので大きな問題に直面せずにここまでやって来れたし、社会も柔軟になっている。家族割も利用可能な携帯電話会社もあるようだ。直接には誰からも何も文句は言われなかった。そもそもが、それぞれがそれぞれでいながら、家族として共同生活を営むという単純でシンプルな思考だけ。本籍住所は同じだけど、世帯主はそれぞれ。私たちには戸籍制度をかいくぐるような選択的夫婦別姓という選択肢もなかった。
入籍というシステムは未だに女性たちにウェディングにまつわる幻想を抱かせていると思う。それが幸せも満足も補償しない、なんなら重荷にしかならないことを、フェミニストカウンセラーは嫌になるほど日々さらされて身に染みて知っている。もっと軽やかに家族ができたらいいのにね。
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。