「今の私がふり返って思うこと」

 私事であるが、この3月で男女センターの相談室を定年退職する。相談員時代から20年近く勤務してきた。生まれた子どもが20歳になるわけで、ずいぶん長い期間、関わってきたものだと思う。その間、相談室は引っ越しをして名前も変わった。マネジメントの仕事をするようになってからは面接でクライアントと接する機会は少なくなったが、いったい何人の女性と出会ってきただろう。
 そもそも、この世界に足を踏み入れるきっかけになったのは30年前の子育てのしんどさだった。二人目を出産して、知り合いもいない土地でワンオペ育児。当時は自分ががんばればなんとかできると思上がっていた。子育ては一人でしてはいけないものなのに。何で私だけがこんなに大変なのか? 新聞に載った子育てグループの作った「一人で子育てしないで」が発行されたという本の小さな記事を見つけたのは、本当に必然だった。そこからすべてが始まったのだった。
 「女性学」を大学で聴講したり、託児を利用して男女センターの講座に通いつめたりしはじめた。河野貴代美さんの講座にも参加した。当時の夢は母親のための何らかの支援をすること。学びがいつしか女性の心理的支援も視野に入れ学会員となり、電話相談に関わることになって研修を受け始めた。ある意味で、夢は幸運にも実現できたと言える。
 一番初めの研修での講師の言葉は、「役に立ちたいと思う相談は、役に立たない(ことが多い)」。その時の私は「役に立ちたい」ばっかりだったので、その言葉に本当に衝撃を受けた。実際まだ相談をしていたわけではなかったから、言葉の意味が実感を伴って理解できていたとは言えないが、今でも心に残っている。「役に立ちたい」と思って誰かのために何かをすること自体は自分のつらい経験に意味を与えてくれるわけでもあるわけで、決して悪いことではない。ただ、役に立ちたいばかりで相手のことを十分な理解をしないままに解決策に飛びついてしまったり、安易に救済者になって相手を置いてけぼりにして引っ張っていったり、上からの物言いになったりする可能性がある。自分のありように常に自覚的でいないといけない。そんなふうに理解できるようになったのは、恥ずかしながらずいぶん経ってからだ。
 相談の現場から降りるにあたって、「役に立ちたい…」のように自分自身がさまざまな人から受け取ったものを思い出すことが多くなっている。それらを折に触れて後に続く人たちに対して言葉にして伝えてきたつもりではいるが、その役割は十分果たせたのだろうかと思うこの頃だ。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。