「フェミカンの新しい出発、リ・スタートのために」

 フェミニストカウンセリング研究連絡会発足から30周年の記念イベントが、先日大阪府のドーンセンターで行われた。日本でのフェミニストカウンセリングの礎を築いた方々に久しぶりに出会い、改めて感謝を伝える機会を持てたことは、とても良かったと思う。上野千鶴子さんと河野貴代美さんの軽妙な掛け合い、アルテイシアさんの進行によるシンポジウムも楽しかった。30年という時間は思いの外長くて、いつフェミニストカウンセリングに出会ったのかによって、感じることも大きく違ったのではないだろうか。
 私はといえば、アワードを受賞された方々とのかかわりが次々に思い出されて、話の内容以上に、ああ私はこうして生きてきたんだなぁと、感慨深い気持ちに包まれたまま、あっという間に時間が過ぎた。ドタバタと日々過ごして少々疲れ気味の私にとって、それはまさに滋養に満ちた時間だった。「師」を持つことの幸福とは、こうしたものなのだろう。お顔を拝見しているだけで安心して泣きそうになり、閉じたこころがふわふわ開いていく心地よい時間だった。準備から当日の運営まで、短い時間のなかでご尽力くださった方々に、改めて感謝を申し上げたい。
 それとは別に、上野千鶴子さんの、フェミニストカウンセリングに対するラディカルで辛口の問いが私の中では拡がっていて、今もぼんやりと考え続けている気がする。
 「フェミニストカウンセリングとは何か。私たちは何を目指して何をしてきたのか。そして、ここからどこへ行くのか」である。上野さんが直接そのように問いを立てた訳ではないが、私にはそのように響く。大きな問いにはまだ答えられそうにないが、具体的な直接の苦言「なぜ、フェミニストカウンセラーは今も60数人なの?」について、私なりに考えたことを、ここでは書いておきたい。
 1980年、女たちは「自分」を語り始めた—フェミニストカウンセリングが拓いた道』(幻冬舎)の執筆に当たって、現場を離れて長い筆者の河野貴代美さんから、同じ問いをぶつけられた時に、私が答えたことが収録されている。(同書157P)
1.フェミニストカウンセリング資格認定当時、すでに全国の女性センターなどでは相談業務が始まっており、需要が追いつかない状況があったと思います。無資格の人を雇用して、以降は大阪のドーンセンターや国立女性教育会館、フェミニストカウンセリング学会などで研修を受けて相談業務に就くということが定着した現状がありました。
2.フェミニストカウンセリングが熱狂的に迎えられた当時は、日本でも第二波フェミニズムに触れた女性たちが自分のためにフェミニストカウンセリングを学びたいと思っていました。ある意味、経済的余裕と時間と力のある女性たちが多かった時代でもありました。その後、女性たちの状況自体が大きく変化し、仕事や家事育児に追われ、経済的な自立の資格としてはまだ認知不十分なフェミニストカウンセラーを目指す人はそれほど多くなかったのが実情です。
3.女性センターや配偶者暴力相談支援センターの相談員は、現在も雇用条件が悪く(非常勤・低賃金・雇止めなど)それだけで経済的に自立して暮らせる仕事ではありません。
4.バックラッシュの影響もあって、ジェンダー理論は大学で学ぶものとなり、フェミニストカウンセリングが扱うのは加害・被害をめぐる問題(セクハラ・DV)に特化して伝わった感があります。フェミニズムの衰退と同時に、私たちが女性全体に影響を与える機会が減り、学会員も減り、その結果フェミニストカウンセラーを目指す人も減っていると思われます。
5.フェミニストカウンセラーのなかには権力や政治構造の取り扱いが苦手な人も多く、宣伝もできていないといえるでしょう。公的制度に組み込むような野望や、戦略を持つような組織運営もできていません。目の前の相談に追われて、そのなかで疲れ果ててもおり、今後を展望するような動きを取れる人がほとんどいないのが実情です。宣伝と政治力不足です。
6.フェミニストカウンセラーたちは、概して真面目で優しくて慎重な人が多く、個性的で破天荒で、突出した魅力のある、スター的な人が今はほとんどいないと思います。全体に地味ということでしょうか。
7.フェミニズムが再評価されるようになった現在は、新しく講座に来た方などの様子を見ていると、フェミニストカウンセリングの独自性や空気に触れて、引き続き学びたいと考える方も多くなっています。資格制度や講座のなかで、どのように私たちの理念や実践を伝えていくのか、現在はいろいろ整備し直しています。また、ジェンダー課題にかかわる社会的な動きをフェミニストカウンセリングはどう見るのか、新しい心理療法の技法を学ぶ講座など、学会員や認定フェミニストカウンセラー協会員の需要に応える機会を現在はさらに重要視しています。
 上記、2023年3月出版の書籍の一部を再掲したが、これはあくまで私見であって、異論や反論、他にもあるとお気づきの方には是非ご教示いただきたい。
改めてこれを読んでみると、もちろん現実的で妥当な言い分とはいえ、なんだか一生懸命言い訳しているように思えて、あああ〜っとため息をついてしまう。そんなことはわかっている、だからどうするのかが問題なんだと、自分に突っ込みながら・・・である。それ以外にも、資格認定や更新のハードルの高さなど、ここで語れていない問題も多くあって、そのひとつずつを検討して、変えられるものを変えようとしてきたのがここ数年の変化であった。


 昨年4月に施行された、困難な問題を抱える女性への支援に関する法律の理念は、私たちが長年実践してきた、フェミニストカウンセリングの理念にぴったりと重なる。個々の女性の困難は、ジェンダー構造に根差していてその個人のせいではない。女性が安全に安心して生きられるよう社会を変えることが必要だと、高い志を謳う法律がやっと作られたのだ。どうか自信を持って欲しいと思う。30年遅れで法制化されたものを、私たちはもう長く実践してきている。
 各自治体では、困難女性支援法への取り組みがすでに始まっているが、ケースワークや一時保護が主要な事業とされて、個々の女性の心身の回復やエンパワメントを目指す、中長期の心理支援については、まだほとんど取り組まれていない。私たちの経験が必要とされていると感じながら、今もまだフェミニストカウンセリングが十分には認知されていないことが、悔やまれるところだ。また、社会全体のジェンダー状況を大きく変えていく主体である、声を挙げ始めた若い世代とつながり、フェミニストカウンセリングを伝えるために、今私たちに何ができるだろうか。
 私が、初めてフェミニストカウンセリングに出会った頃を思い返すと、フェミニストカウンセリング研究連絡会は、組織全体が熱気とシスターフッドに満ち溢れていた。「女性がもっと生きやすいよう社会を変えよう」と思う女性たちが、フェミニストカウンセリングに大きな期待を寄せて、共に活動しようと結集していた。あれから30年、それぞれの方が、現場では懸命にやってきたことは十分に承知している。ただ、私も含めて目の前のことに追われて、これまで十分に考えてこられなかったことを、今は考える時を迎えているのではないだろうか。
 フェミカンの新しい出発、リ・スタートのために、とりあえず思い描いているのはふたつ。ひとつは、若い世代にアクセスするために必要なITに習熟した人の力を集めて、広報部門を作ること。そして、もうひとつは、本来のフェミニストカウンセリングの大きな目標である、社会の変革運動にもっとスポットを当てることである。非カウンセラーの活動から学び、今現場で必要とされている支援のあり方を私たちが学ぶことで、フェミニストカウンセリングの実践はもっと豊かになっていくのではないか。NPO法人日本フェミニストカウンセリング学会は、カウンセラーのための組織ではないし、もっと自由に、もっと面白い活動が生み出される場であった方がいい。
 多種多様なひとが集って、賑やかに議論し、それぞれがのびやかに活動できるような場は、どのように作っていけるのだろうか。どうか声を聞かせてください。みんなで一緒に考えていけたらと切に願っています。