「さらば時代遅れ」
巻頭言を書く機会をいただき、書きたいテーマが多すぎて選べない。このところ宇宙・世界・国レベルでも、地方レベルでも半径1キロ圏内でも、大きな出来事が多すぎる。一人でブツクサ言うのも悪くないが、社会問題的なことはできれば誰かとワーワー言いたい。そういう仲間が生活場面のそれぞれにいてくれて、私の精神バランスはなんとか保てていることを日々感じ、ありがたい。
クライエントさんにとって、ひとまず唯一でもいいから私もそういう存在になれているといいと願う。フェミニストカウンセリングの良さの一つは、平場で対等なCR状の対話が功を奏することだ。心理臨床のスタンダードではカウンセラーの自己開示にはかなり慎重、というか否定的、せめて限定的だ。そちらの立場での研修の際に、グループディスカッションで自己開示の効用についてフェミニストカウンセリングの視点から持論を開示すると、けっこう興味津々に傾聴(黙聴?)されるし、先入観で否定的な応答を受けることは多い。だが、対話の中で、「これは自分だけの悩みなのか?」と“名前のない問題”(Friedan,B.)が語られる時、当事者の共感をもって共有されることのエンパワメント力は不滅だ。批判されるとしたら、そのタイミングや量、技法としての見極めについてであろうし、それは議論や検討を重ねたいと私も思う。
さて、長い前置きだったがここからがテーマ。今年は地元福岡でFC大会を開催し、私のフェミカン歴30周年記念は印象的なものになった。しかしながら、このところ福岡のお恥ずかしい話題が全国に見聞きされている。県議会の「カツアゲ」問題。告発のセリフとしてはわかりやすくて感情がこもっていて、イイ感じだ。長年福岡県議会で重鎮とされていた人物を筆頭に、その権力を支持する者たちの姿が連日映像で届けられ、男性中心社会の挙げ句を見る思いがしている。報道の画面には、あらためて男だらけの議会風景が広がる。議長の辞職勧告決議案が緊急動議により採決中止になり、賛同して立ち上がる男・男・男・・・。女がいない!つい見慣れた風景になってしまっている危うさを再認した。政治の場に女性がいない・少ないのはヤバいことだと気づけないまま100年以上、今やロボット議員が誕生するかも・・・という時代を生きているのに、若い層に「昭和〜」と揶揄されそうな威風堂々の“男らしさ”で開き直ってしまう当事者たち。
以前から、政界には福岡出身のなんか恥ずかしい“大物”のパフォーマンスが見受けられたりする。地元の責任として早く撤収させなければと焦るが、推す人も多いのがこの時代の象徴だろう。議会問題では、「変だよ」とか「ダメだよ」と誰も言えない“空気”によって固定化されたパワー構造にそびえ立っちゃう人の残念な像をまた見た。「パワハラってもうダメなんだよ」と言ってるのにね。絵本「はだかのおうさま」は、“ユーモアにあふれ、ゆかいなお話でありながら、たいせつなことはなにかをおしえてくれるアンデルセンの傑作です”(いもとようこ文)。パワーの頂点に立ちたい人々が子どもの頃に、いや今からでも読むべき啓発書だったようだ。
※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。

