「変化、変革の起こし手」

 フェミニストカウンセリングを実践する中で、クライエントとしばしば話すこととして、何事も、今の状態で得をしている側から現状に変化を起こすことはないということがある。ジェンダー規範にもとづく性別役割は典型例だ。家事も育児も介護も看護も”名もなき家事”も、人が生活していれば存在する家庭内必要事である。どのくらい、どんなふうにやるかは個々の裁量にしても、正直、面倒極まる面もある繰り返し作業なので、より良くやろうとなると際限なく、言うまでもなくタイヘンだ。加えて仕事もして社会活動や地域住民としての活動も、と一手に担うとなると1日24時間では足りない。1人分の身体と体力では足りない。しかもこれらは“やって当たり前”の扱いになっていくので、不満を持たれることはあっても、なかなかフォローや感謝はされない標準装備になっていく。長い歴史の男性中心社会のバイアスに包まれて、これらを一切せずとも生活に困らず、文化的な生活が成り立ってきた人々がいる。彼らはおそらく、何も刺激がないのにある日急に自らそれらをやります!とはまずならない。女性たちが、フェミニズムに出会って大いなる気づきを得て、生きやすさを模索していくのとは土台が違う。賃金・昇格差別も、今優遇側にいる者の方がワーワー言うことはあまりない。自身の負担が増えたり痛み分けしたりすることに、ニーズがないのは当然だろう。そういうことに関心がないのが通常で、自身に圧力がかかるか、何か不名誉や不利益が出てくる事態にならなければ平気でそのまんまだ。
 ジェンダー問題はそこがうまく(厄介に)できている。家庭内必要事担当側の女性は、自身を女性ジェンダーの支配下に置いていれば自己主張をすることに強い抵抗を感じる。だから自分からは言いたくないし言えない。旧来の”女らしさ”においては、自分が苦痛だったり不都合だったりする状態でも、”嫌な顔もせず”やすやすとこなしていこうと努力する。それゆえ夫側はパートナーが苦悩していることに気づくのはますます難しいし、気づかなくていい状態になる。夫が「察して望む行動を取ってくれる」ことでの解決は、明確に叶わぬ夢であることが多い。クライエントとはその原理をシェアする。現状に限界を感じている側が変革を起こすという法則も、ジェンダー規範に反することだが、やらなければそのまんまの生活と人生だよねぇと話す。
じゃあどうすれば…(と考え始める中で”女らしさ”を手放す勇気が湧いてくる)。気づいてないか気づきたくない人には、気づいてほしい人が行動を起こすしかないという原則を認める段階へと進む。ここでフェミニストカウンセリングの主要な軸の1つであるアサーティブネスについて伝える。相手に嫌な顔されるかもしれない、嫌われるかもしれない、DVの素質があったと発覚するかもしれない。自身がアサーティブな方向に行動を変革すると、初めて相手の本音、本質、本性が露わになる。ただし中には、「そんなこと早く言ってくれたらよかったのに」と、甚だ受け身の甘えん坊ではあるが、すんなりハッピー解決タイプも少なからずいるのも経験してきた。妻の方が離婚さえ考え、最後のお試しと思って希望を言ってみたら、夫婦関係は熟年に向かって良変したというクライエントも実はいる。
 あとは、ご本人が“言わない”ジェンダーを手放す行動に踏み切れるか、だ。苦悩しているクライエントは、これまでやってきたことがうまくいっていないなら別のことをやってみる、という原則には納得されることが多い。だからといって、頭でわかったアサーティブ行動を取るのはそれでもたいそうハードルが高い。それでアサーティブ・トレーニングを取り入れて、準備運動と練習に入る。受動から能動へ。沈黙から主張へ。抑圧から解放へ。犠牲から自尊へ。受け身からアサーティブへ。変化の先には清々しさや軽やかさ、気分の良さ、スッキリ感といった、これまでその相手との関係でほとんど経験したことのない気分を自分発の行動によって味わうことになる。
元の役割に戻らないために、パートナーとこれまでになく話をすると、知らなかった相手の部分を初めて知ることも出てきて、改めて出会い直すこともある。自分が自分を知り、正直に表現できることから、関係構築が可能になることを実感する。あるいは、「こりゃダメだ」と自身の人生の伴侶としてふさわしいかを改めて査定し、決断する方向ももちろんある。これは夫婦関係に限らず、あらゆる人間関係において同じだ。自分が率直になると、無理のある関係がはっきりしてくるし、逆に本当に合う相手が出てくる。他者との関係に変革を起こすことは、自分自身の変革になっている。
 この原稿を書いていると、「共育てひろしま」を掲げた広島県が、家事・育児の負担が女性に偏っていることから、男性の家事・育児の参画を促す条例を制定するとのTVニュースが流れてきた。「男性活躍推進元年に」と。ちょうど今その話をしていたのよ、と言いたくなるタイムリーさだ。あぁ、本人から行動しなくても変革があるケースだ。政治から変わるという。(いや、多くの「本人」が突き動かした経緯はあるだろうけど。)成熟した社会になるために、犠牲・被害側だけが頑張って変革のエネルギーと努力をする、というさらなる苦労を強いられないのは、政治がちゃんとやる場合だ。高度経済成長期に政治が仕組んでここまでにした性別役割分業文化の負の遺産は、たしかに張本人である政治が是正するのが本来だ。
 わが県はどうする?ガンバレニッポン。一方で、大統領が代わった途端に激変するアメリカの状況も耳目に入ってきた。アメリカの世界的大企業が次々に、推進し始めたDEI(多様性・公平性・包摂性)を重視しない方向への舵取りをすると決めたとのこと。「先進国」って何だろう?と考えてしまう。日本のメディア大企業の内部問題が露わになる現象から、時代とともに女性差別大国も変わりつつあることを期待できると感じていただけに、混沌とした気持ちになる。何を「先進」と考えるか。途上国ならまだしも、「後退国」にならないことを願う。長年続けているアサーティブ・トレーニンググループにおいていつも焦点を合わせる「自分軸」でものごとを見て、判断、行動選択する姿勢はゆるぎなくいたいと思うものだ。

※この記事は、学会、フェミニストカウンセラー協会、フェミニストカウンセリング・アドヴォケイタ―協会が持ち回りで投稿しています。